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旅のサポーター齊藤洋司のブログ                「お遍路日記」 第2章高知編                                  高知県は広かった その2 (23.05.12)

(第6日目)

 荷物を置いて、27番神峯寺を目指す。空身といえ登はきつい。10時半に戻ってサイクリング道路を歩く。ここは昔、鉄道が通っていた後を、サイクリング道路にしたとの事で、歩きやすい。しかし、歩いているのは私一人。時たま対面で通り過ぎていくが。木陰がないのが辛いところだが・・・。赤野の休憩所で一休みして、琴が浜から今夜の宿、住吉荘に電話する。約1時間歩いて到着。小さな漁港にある民宿で、目の前には何艘もの小型漁船が係留されている。疲れた体には、ホッとするような景色である。部屋に上がってみれば、劇団民芸の役者さんの色紙が壁一面に貼られている。そこには故人になった米倉斉加年さんなど、昔知っている役者さんの名前があった。料理民宿なので、良く宴会などに使われたらしい。コロナでお客が減ったとのことだが・・・。風呂から上がって席につけば、ただ一人の客。座卓いっぱいに料理。ホタテ貝に似た貝の刺身、蒸し焼き、鰹のたたき、その他を入れて7,8品。このお遍路で初めてのご馳走で、海のものが好きな私にとって、興奮モノである。それでいて、他の民宿値段と変わらず、応対も丁寧で又、行きたい民宿である。両足は、豆から水ぶくれになり、躰は疲労が蓄積し、明日の晩の泊まりの予約ができていません。まだまだ先は長い。

(第7日目)

 翌朝、大日寺を目指して歩きだし途中、香南市赤岡町にある弁天座(昔の芝居小屋)と江戸時代の絵師、絵金の絵を見る。ここで興奮しすぎたのか、大日寺への道を間違え、遠回りをしてしまった。ようやく28番大日寺を打ち、国分寺へ向かう。ここでチェコの青年が先に行くので「違う違う」と叫ぶが声が届かない。まして英語はできない。そこで親切な人が車を止めて、青年に道を教えている。ようやく追いついた私と青年に、飴と硬貨をお接待してくれて、その後も車で先導し、道を間違わないように待っててくれた。このような人に会うと、お遍路の辛さが吹き飛んでいく。青年はどんどん先を行き、2度と会うことはありませんでしたが。私は松本大師堂で休憩、お菓子を食べての昼食。国分寺を打ちどうするか。高知駅に出て、ここに泊まろう。急いで電車の時刻を聞いて後免駅に向かう。高知観光案内所でホテルを紹介してもらい、翌日の夜行高速バスの手配をする。バスの手配はスマホにての手配なので難儀した。ホテルに落ち着き、高知城近くの、ひろめ市場まで歩く元気はなかった。

   

(第8日目)

ホテルは朝食付きなので助かった。しかも遍路値段とのことで、安かった。今日はNHK朝ドラマで話題の牧野庭園によってから、竹林寺、禅師峰寺まで歩くつもりだ。天候が怪しい。雨が降るかもしれない。善楽寺、竹林寺間は次回に残しておく。    

広い庭園を歩き、竹林寺に向かう。竹林寺で納経を済ませ禅師峰寺へ向かう。この途中、橋の手前でフランス人のJeanにあう。このお遍路中、何回か会った人で、てっきり先に行っていて会うことがないと思っていた。道を間違えたりしていたようだ。禅師峰寺まで一緒に歩く。お寺は山の上で、禅師峰寺で私は東京に帰る話をし「もう会うことがないでしょう」そう話をしたら、納札を出して私と交換した。フランスの人が納札まで用意して、お遍路をしていることに驚いた。

彼は、八十八か所、全部歩くつもりである。

ここからバスに乗って高知駅まで戻る。その前に、昼食でもと思いながら捜すと「ごはんや」の看板があったが、休業。バスに乗ろうと歩けども池通技術学校が見つからない。高知技術学校は見つかったのだが。何度も聞きながら、ようやくたどり着いたのは、高知技術学校の前である。(この紛らわしいバス停で、雨の中さ迷わなければならなかった)高知駅に着いても雨はやまない。遅い昼食を済ませながら、駅で今夜のバスを待った。

本当は昨年11月に歩きたいと思っていたのですが、膝痛に悩まされ桜の季節になりました。約2百キロ、全行程歩きましたと言いたいところですが、一部電車に乗り、次回に繰り越しました。「高知県は広い」これが実感である。33番から39番までと、30番が残りました。「修行の道場」と言われるゆえんだと実感しました。足がのろく時間がかかりましたが、雨が降らなかったのが幸いでした。私の足では雨中での歩行は、出来なかったかもしれません。

歩いてみなければ解からないことがありました。道路ができたため、村の中が寂れていく現状や、過疎化の波を、各所で感じました。またコロナの影響で店が閉まったり、廃業したりしたところもありました。

今度のお遍路で、外国の方、7,8国の方とお会いし、ほとんどが単独で歩いていました。スマホで道案内を見ながら、どんどん歩いていました。声を出すと日本語に翻訳され、スマホ音痴の私には、考えさせられるお遍路でした。

今、日本には外国から沢山の観光客がやってきて各地をめぐっている。お遍路でも、外国人のパワーには圧倒されました。この「四国お遍路」を大事にして、観光につながっていけば、明るい道も開けるでしょう。もう一つ「お接待」に心が癒され、感謝しかありません。当分私の「お遍路病」は治りそうもありません。秋には、ふたたび高知へ。

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