ある時期私は、バリアフリーのサポーターを離れた時がありました。10年ほどやったのですが、旅行社の都合で・・・。 その10年間で知り合った車椅子ユーザーの方が、私の顔が見えないので「どうしているのか」とサポーター仲間に聞いたのです。 そして電話がかかってきました。「お礼がしたいから食事でも・・・」 トラベルサポーターをしていて、懇意になった方は、たくさんいます。しかし懇意になったからといって、その方だけお世話するわけにはいきません。団体旅行では、誰もがお金を払って参加しているのですから・・・。あくまでも平等の対処が原則です。これを逸脱すると、不平不満の素となります。ですから私は、この方だけに、あの方だけにというサポートはしませんでしたので、本当なら個人的にお礼など受けられるわけがないのです。 しかし「お会いしましょう」と言うことで、久しぶりに元気な顔を見せました。「楽しい時間でした」本当にありがたいと思いました。「誰かが見ていてくれた」それは私が認められたことになります。
一般的な話になりますが。 親子でも兄弟でも家庭でも、会社でも組織でも地域でも「自分の存在」が認められない限り、生きていけないのです。これが「あなたが居るから頑張れるのよ」と、言われればどんなに頑張れることでしょう。 最近、障がい者ゆえに疎んじられる、事件が起きています。過去には、障がい者であるが故、排除される時代がありました。それが現在でも優性思想によって、度々述べられています。 しかし、誰もが障がい者にならないとは言えないのです。生まれつき障がいを持ったり、生きている間に、障がいを持つことは考えられることです。 現代社会では効率が優先され、障がい者であるが為に、辛い経験をされる方がいます。私は、きれいごとですべてが解決するとは思っていません。でも少しでも「一個の人間として」認められれば良い方向に行くと思っています。「じゃお前、その人の片腕になれるのか」そう質問されれば、自信はありません。そばにいる存在として、力になれるかもしれません。
最初にお話ししたような事があるので、私はサポーターが出来るのかもしれません。バリアフリー旅行で大事なことは、サポーターも一緒に楽しみながら元気をもらう事です。「その人の生き方、行動を見ることによって」自分も元気になったことが幾つもありました。 人のお世話をして自分も元気になっていく、これがサポーターを長くできた原因ではないでしょうか。仲間もでき、元気に生きていける、又サポート―しようとなっていくのです。これからも色々な出会いを期待したいと思っています。