2024年10月22日:旅のベテランサポーター【齊藤洋司のTopics】
「四国お遍路」 第5章 愛媛~香川へ (24.10.22〜11.1)[2025/1/14up]
今年の夏は暑く「熱中症」の被害がたくさん出ていた。その為、外歩きができないでいた。昼間暑さでグッタリ、そんな日が続いた。
又、5月、6月には原因不明の激しい腰痛に襲われ熱も出た。2,3日で治るのだが・・・。トイレにも行くにも困難なほどの腰痛が出て「お遍路」に行けるか躊躇していた。整形の先生に相談したら、OKが出て薬が出た。しかし私の中では、行く気になったものの不安は拭い去れない。私の中で、葛藤が続いた。「でも行こう」22日夜9:15 分発「バスタ新宿」からの松山行、高速バスに乗車した。しかし東名の工事渋滞で前に進まない。翌朝、松山に着いたのは2時間遅れで11時を過ぎていた。
(第1日目)天気 雨のち曇り
松山駅から道後温泉行の伊予電鉄に乗り前回泊まった、場所から歩き始めた。
雨が降っている。コンビニで道を教えてもらい山の中へ。遅れを取り戻そうと懸命に足を進めるが52番太山寺53番円明寺の納経が終わった時には、午後の3時半を過ぎていた。今日泊まるところまで、あと11キロもある。電話をした。
雨はやんだが、気持はせくばかりで足が出ない。5時半ごろ電話があり、迎えに来てもらう。あと1時間もあれば、歩けたのだが?
ここで青森から来た中年女性と「マホロバ」のご夫妻と話が盛り上がる。青森の女性は、3月にも歩いていて、私が会った82歳の富山の人と大洲で一緒になったと言う、世間は狭い。「マホロバ」のご主人は多趣味で、定年後「カフェと民宿」を始めたとの事。
(歩数) 32,832歩
(距離) 22km
52番太山寺
(第2日目)天気 曇り
7時15分出立。海沿いを歩けど歩けど、54番延命寺にはつかず、14時半頃着く。その後、55番南光坊へ向かおうとしたら、車を止めてのお接待。ここからでは「泰山寺」の方が近いけど・・・。そのアドバイスに従って56番へ。泰山寺で納経を済ませ、電話をしたら今夜の宿の奥さんが目の前にいた。今夜宿泊する「デンマークの青年」を待っているとの事。ここで合流してコンビニに寄って、夕食の買い物。
デンマークの24才の青年は、お遍路途中デンマークの若い女性と知り合い一緒に歩いているとのことで翌日、57番栄福寺で待っていた。
(歩数) 45,258歩
(距離) 30.3km
(第3日目)天気 曇り
朝食は軽い洋食、永福寺まで送ってもらう。ここの住職は、テレビにもよく出ていて「マイ遍路」という本も出している。58番仙遊寺へは工事をしているとのことで、迂回路が示されていたが、若い2人は構わず歩いて問題がなかったようである。私は回り道になってしまったが。最後の階段がきつかった。
「湯の浦温泉」道の駅の先を右折して、丹原上町の宿を目指してひたすら歩く。古い商店街の先に、今夜の宿があった。民家を改造した家で、今度はデンマークの彼女の方と一緒である。もう一人アメリカの男性と3人。取り置きの仕出し弁当で夕食。3室のみである。
(歩数) 43,050歩
(距離) 28.8km
(第4日目)天気 雨のち曇り
朝4時半に目が覚める。
今日は山(横峰寺)に登らず、61番香園寺を目指し7時半に出立、雨の中を歩く。香園寺はコンクリート造りで本堂は2階にあり、上がるのが大変。他の老夫婦も苦労していた。
納経を済ませ、62番宝寿寺へ。以前このお寺は、八十八カ所の寺院組織と対立し、一時は香園寺と2つの納経所があり、倍の納経料を取っていた。
今は住職が変わり、若い女性と、年輩の男性と2人で納経の筆書きをしている。
11号国道を歩き、63番吉祥寺、64番前神寺を打つ。前神寺は石鎚神社と一帯化していたが、明治の神仏分離で別になり、戦後、明治神宮のようなおごそかなお寺になった。
石鎚山駅から電車に乗り、壬生川駅(にゅうがわえき)に戻り、1時間歩いて宿へ。ここで2泊して横峰寺を考えていたが、山登りのため、現状の体力と雨で断念。
(歩数) 29,760歩
(距離) 19.9km
(第5日目)天気 曇り晴れ
朝、7時11分発のバスで、壬生川駅へ。石鎚山駅から歩き始める。11号線を歩く。65番三角寺は遠いので新居浜のビジネスホテルへ。早めに着いてしまい、近くのスーパーへ行ってイトインで一休み。ここで夕飯を買ってホテルへ。ホテルは綺麗な個室で、私一人の宿泊。朝食は久しぶりの和定食。
(歩数) 26,519歩
(距離) 17.8km
(第6日目)天気 雨
合羽を着て雨の中歩く。別格延命寺で「いざり松」をみて休み、11号線をひたすら歩く。時々瀬戸内の海が見え隠れする。四国中央市土居町のコンビニで昼食。
伊予三島に入り、今夜の宿「大成」へ、2018年以来の宿泊である。女主人は元気だったが、年齢による大変さを話していた。
(歩数) 36,876歩
(距離) 24.7km
(第7日目)天気 曇りのち小雨
朝食後、7時過ぎに出立。もう一人宿泊の東京ひばりが丘の男性は、別格に向かってタクシーで出発。地図を頼りに、65番三角寺へ。
村を抜け、森を抜け、山を抜け、登りながら三角寺へ。ここで「あじさい会」のご婦人方がお茶の接待をしていた。ご婦人たちと話をしていたら「わたし若い時、小田急線の読売ランドに居ましたよ」世間は狭い。
常福寺(椿堂)で一休みして、境目トンネル(855米)の中を歩く。トンネルを抜けたら雨だった。午後3時半ごろ民宿「岡田」に到着。ここの96歳になる岡田明さんは、目も耳も達者で幾人もの人が、その岡田さんを新聞や本に紹介している。その遍路日記の本が、玄関にうず高く積まれていた。もう一泊して読みたいくらいである。この遍路で始めて民宿らしい民宿である。4人が宿泊。
(歩数) 32,784歩
(距離) 22km
(第8日目)天気 晴れ
朝食6時、出発7時。 雲辺寺(921米)まで登る登る。やっと到着。それから下り始めるが。前日の雨で、道はぬかるみ休むベンチも雨で濡れていて座る処がない。ただ下る、下る。足元は石が露出していて滑りやすく、心もとない。人にも会わず、ひたすら下る、下る、下る。これでもかと山道が続く。杖を頼りに岩が露出した狭い道を下る。足はふらふら、転びそうになりながら滑る道を一歩一歩確かめながら下る。それでもなかなか足が進まない。一歩一歩が遅く、足元を確かめながら下る。大興寺までは遠い。雲辺寺からケーブルで下る方法もあるのだが、全行程「歩く事」を信条としている。「思いと肉体は一致しない」靴擦れの痛みと、疲れで足が進まない。
やっと、民宿「青空」が見えた時は、まだ中間である。こんなに遠いとは、想像もしていなかった。「遍路転がし」と言われるゆえんだろう。
67番大興寺を打った時には、4時半近くになっていた。今夜の宿「藤川旅館」まで8キロもある。それでも1キロ半位歩いただろうか。あたりは暗くなってきている。旅館に電話する。「どの場所にいますか。お迎えに行きますのでその場所を動かないで下さい」旅館に着いた時には、6時半になっていた。歩けば8時ごろになっていたかもしれない。旅館の若主人は「明日の行程は考えた方が良いですよ」強く言われた。前回まで、こんな事はなかったのに、つくづく自分自身の老化を感じたのである。「気持ちは若くても足がついていかない」これは宿命かもしれない。しかし「お遍路はまだまだ続く」これで退却する気持ちにはなれない。
(歩数) 32,623歩
(距離) 21.9km
(第9日目)天気 晴れ
朝7時半に「藤川旅館」を出発。若い主人の口調は強かったが、助言を生かして、変更する事にした。宿から1キロの68番神恵院、69番観音寺を打ち、川沿いを歩いて70番本山寺へ。広い境内に五重塔がある。納経を済ませ71番弥谷寺へ。今日一番距離がある11号線を歩く。自動車を避けながら、上へ上へと登る。お寺の入り口に入ってもからも大変。階段が何段も続く。上っても、その上に本堂の階段が続き、息も絶え絶え、ようやくお参りができた。
いやだに温泉「ふれあいパークみの」からコミニティバスが出ているの聞いて善通寺に向かうことにした。72,73,74番は次回に打つことにして、善通寺に急いだ。
(歩数) 33,955歩
(距離) 22.8km
(第10日目)天気 小雨
この善通寺は、弘法大師生誕の地で、幼名は真魚(まお)と呼ばれ、小さい頃から聡明と言われていた。
善通寺の宿坊に泊まって、朝6時御影堂で朝のお勤め。耳が不調で、僧侶のお経が聞き取れない。甲高い声は聞こえるのだが・・・。そのあと抽選会があり、番号が呼ばれたが、聞き取れない。黙っていたら誰も手を挙げず、やり直しになり、次の抽選で中年女性が品物を受け取った。もしかしたら私の番号だったかもしれない。聞こえないということは・・・。
その後、御影堂地下の戒壇巡りをして、真暗闇の中、壁を頼りに歩いた。明るい所に出た時「なんと明るさの、ありがたいことか」
朝食を済ませ、広い境内を歩き納経。有名なお寺だけに多くの人が来て、散歩をしたり、写真を撮っていた。雨がぽつぽつと降ってきた、8時半過ぎ76番金倉寺へ。街の商店街を抜け、一路金倉寺へ、納経を済ませ東京に帰ることにした。
(歩数) 13,329歩
(距離) 8,930m
76番金倉寺
(後記)
とにかく疲れました。
今回は、松山へのバスの遅れもあり計画が狂いました。最初からつまずき「お迎え」など、お手数を御掛けしました。又、靴擦れや豆もでき、体調の衰えもあり、全てが順調ではありませんでしたが、無事帰ってきました。
帰ってからも疲労が回復せず、難儀しましたが、ようやく元気になってきました。五ヵ寺残しての帰郷となりましたが、次回に!
来年には最終章、3巡目の6回目にチャレンジしたいと思っています。そして結願したいと思っております。