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2024年3月26日:旅のベテランサポーター【齊藤洋司のTopics】
「お遍路日記」 第4章 愛媛県編 3/26~4/5 第1回目(24.4.23)

元旦、能登半島に大きな地震が起き、翌日には羽田空港で日航機が炎上。年始そうそう不安な幕開けが始まった。こんな時、一瞬頭をかすめたが・・・。

私は、「お遍路」第4章を昨年から計画していた。そういえば2011年の東北大震災の時には、原発も爆発して各地の観光地は、大打撃を受け閑古鳥が鳴いていた。そんな状況の中、私は四国へ出発した。

(第1日目)
今回は、高知県最後のお寺、39番延光寺からである。毎回、バスタ新宿から夜行バスで出発するのだが、今回は新幹線で京都まで行き「しまんとブルーライナー」宿毛行、夜9時発、夜行バスに乗車。京都の駅前は外国人の観光客であふれかえっており、和食の店は行列で並んでいる。ちょうど花見の客とぶつかり、落ち着くところがない。桜はほころんでいるものの、肌を刺す風は冷たい。

(第2日目)
翌朝7時半、宿毛駅一つ手前の三原分岐で下車し、延光寺まで2.5キロを歩く。天気は晴れ。39番を打ち、いよいよ伊予の国、愛媛県である。56号線を、ひたすら歩き松尾峠を目指す。松尾峠に登る前に、自転車で通りかかつた「おじさん」が、「コンビニの先を左に、山道は昨夜の雨で、歩けないかも・・・」等々、色々アドバイスしてくれる。それから先が長かった。はじめは山道でも楽勝かなと思ったのだが。アップダウンの連続でなかなか40番観自在寺に着かない。ようやくの思いで着いた時には、夕方5時10分前であった。納経を終え、民宿へ電話。「フランスの人と、今からスパーへ行きますので、お迎えに行きます。そこで夕食と朝食を買って下さい」この民宿はコロナ以後、素泊まりにしたという。ここの女主人は80歳、軽自動車で送り迎えをしている。(歩数)47,973歩(距離)32,142m

(第3日目)
起床4時半(朝まで熟睡)5時に朝食を始める。6時過ぎ民宿を出発。56号線を歩き途中、柏で右に折れ、柏坂を目指し川沿いを登りながら柏⇒柳水⇒清水大師(標高460m)⇒この付近では牛の放牧が行われていたという。どうやって牛を連れてきたのだろう。
海が見え、素晴らしい景色を堪能する。下り途中、雨が降ってきて、その対策で難儀するが、56号線「和み茶屋」で昼食。13時半になっていた。親子でやっている食堂で、声も出ていて、車椅子のお客さんもいた。雨のなか三好旅館に。
昔の建物が残っていて、指定保存建築に認定されているという。夕、朝食が充実していて申し分なし。(歩数)39,867歩(距離)26,711m

(第4日目)
7時半出発、旧道に入りトンネル手前から、山に登る。ここも松尾という。やがて宇和島市内に。宇和島城を見ながら商店街へ。ドコモに寄ってパスモの不調を見てもらう。宇和島商店街を抜け、北宇和島駅で休んで、近くの民宿へ。ここも素泊まりで、荷物を置いてスパーまで夕、朝食の買い出し。(歩数)32,033歩(距離)21,462m

(第5日目)
朝、6時出発、きょうは3ヵ寺を打つ。ようやく桜も満開になった。「春遍路散りゆく花びら足すすむ」
龍光寺は、神仏混合のお寺で、目の前に石の鳥居が立ち階段の途中に、龍光寺入り口がある。中山池の周りをまわりながら、仏木寺へ。
*中山池は、土地の素封家が開拓した灌漑用池で、田畑への水の供給、日照り対策で掘られた大きな池。開拓した人は、完成後すぐに亡くなられた。
歯長峠への山道を歩く。石が埋められている細い道が滑る。明石寺を打ち、卯之町にある「まつちや旅館」へ。卯之町は、宇和島街道の宿場町として栄え、古い建物が並んでいる。又、古い学校の廊下が100mといわれ、雑巾がけレースが、テレビ度々で取り上げられる。時間がなかったので寄れなかったが、いちど見たいものである。「まつちや旅館」は駅前にあり、昔からの遍路宿で、心づかいが行き届いている。後継者もいるので「大切にしたい宿」である。2食ついて、おにぎりのお弁当付き、洗濯、乾燥無料。(歩数)41,457歩(距離)27,776m

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